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突然ですが、その月を振り返るような、またはその時思考したちょっとした小話など始めてみようと思います。
理由は、少し前に用意した「コラム」の更新が滞っていることがまず一つ。コラムではきちんと真面目に様々な話題について考えてみたくて、前回は塗装の話をしたのでした。そして次のコラムも2つほどとある話題について書き進めているのですがまだまだ下書きの状態で、公開出来るようになるには結構時間がかかりそうで。
更新を急ぐ必要はないと考えているが、しかしずっと更新されないままだとそのまわりの空気がなんだか淀んでくるような気がして。とりとめのない小話でも構わないので月に一つ何か書いてみようと思い至る。
もう一つ。このウェブサイトをご覧頂いている方は結構マニアックな方が多いらしく、有難いことに私の拙い文章でも「更新楽しみにしています」とか「一字一句読んでます」とか「note更新しないんですか?」とか(冷汗)様々にお声を頂戴する。
実際に顔を合わせてお話しさせて頂く方もいれば、顔を合わせたことはないが電話やメールでお話しさせて頂く方もいるし、もちろん直接お話ししたことのない方だっている。そうした方々とのコミュニケーションに必ずしも本コラムが必要というわけではもちろんないのであるが、しかしウェブサイト上の文章という一見すると一方向のコミュニケーションのようでも、向き合い方次第で形は様々であれどもきちんと相互に作用するものなのだと気づくきっかけとなり、以前よりももっともっと文字や言葉で表明することを大切にしていきたいと思うようになりました。
タイトルの「小譚顧耽」とは造語で「顧みたり思いに耽る小さな譚(話)」というそのままで、小譚(コタン)という言葉も存在するのか謎ですがなんとなくこの音が可愛かったので「小譚顧耽(コタンコタン)」と読んでみる。
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ということで少しだけ話を拡げて「コミュニケーション」について、最近ちょっと考えていることの小話を。
今年の春頃に「RITA MAGAZINE / テクノロジーに利他はあるのか?」という本と出会った。
この本は東京工業大学の利他研究会という会による研究報告というかカジュアルに論考を進めていく雑誌スタイルの本でして「利他」という行為?概念?を中心にして様々な問いを設定して思考していく、という内容になっている。
話題はあちらへこちらへと広がるが、冒頭で「分身ロボットとダンス」というタイトルがあり印象に残った。
概要を簡単に紹介するが、このタイトルでは「離れているってなんなのか?」について考えていくために、遠隔操作されたロボットとコミュニケーションを図りながら様々な体験をしていく。やがて実在という物理的な要因に頼らずとも信頼や共感が生まれていることに気が付く。話は「存在・実在」「死者との関係」「つながり」へと及んでいく。
特定の答えがあるような類の話ではなさそうです。
で、これを読んだ時にまさに遥か遠い昔のしかも海の向こうの家具デザイナーや製造者、生活者たちと現代の私たちとの間に「つながりや共感は生まれるだろうか?」という問いが生まれた。というかむしろ「つながりや共感は生まれ得るだろう」と考えてみた。
そして「ではその彼らとのつながりを生むために、共感を育むために、どのようなコミュニケーションを図れるだろうか」みたいなことを考えてしまい、これが今私の仕事脳を支配している一つの「問い」なのです。少しSFちっくな思考かもしれませんが、私たちのモノとの向き合い方、ほんの少しの考え方次第では彼らとのコミュニケーションやその先にある共感も叶うような気がぼんやりとしてまいります。
ウェブストアの商品ページでは私が感じたことも時に織り交ぜながら一つ一つコメントを記述していくよう心掛けていますが、上述したような私の妄想を含んで読んでいただけると、また違った角度から製品を眺めるきっかけになるかもしれません。
「RITA MAGAZINE」本の詳細はこちら↓
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8月。道の端を流れていく雨水がきらきらと輝いていて少しだけ涼し気であった。
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